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住職の正体と孟飛城の誕生&歴史

住職プロフィールみたいなもん

まずは陳謝… 神聖なる孟飛城に登場してしまってすんませんwww

改めまして、私自身と孟飛城の歴史についてお話しましょう。
自分の音楽サイトでも2行以上のプロフィールなんか書いた事ございません!(爆)
何故って、音楽的バックグラウンドなんか音楽聴けばそれでいいし、
内面的な話になると、音楽関係無くなるからです。
孟飛さま抜きにはどうしたって語れないこのお話は、ここで語るのが相応しいのです。

管理人である私、タレコミ寺住職ことK. JUNOは、
元々、アクション業界の端っこに身を置いておりました。
それまでにやっていた事と言えば、音楽やら書き物やら、モロ文系、
運動神経が悪い訳では無いけれど、普段やらないもので、成績は5点満点なら4点、という具合。
特に音楽には入れ込んでいたものの、
大した創作も出来ないとスッパリ辞め、役者へと転向したのであります。
意図してアクションを目指した訳ではなく、たまたま、体が柔らかいので、という安直な理由から…

さてさて、音楽はただの趣味でありましたが、アクションは仕事でございます。
周りはアスリートばかり。
その中で一般レベルで「中の上」程度の私は、明らかに落ちこぼれです!(爆)

舞台はもともと上下関係などが非常に厳しい世界、増してや体育会系。
しかしながら、そこは学校のお遊び体育会と違い、大人の世界。
後輩は雑用をしながら仕事を覚え、仕事に必要な観察力、注意力などの基礎を養います。
「ちりとてちん」で上手く説明されていましたね。
実際、最初は雑用しまくる位しか、役に立たないんですけどもwww
しばしば、何で怒られているのか判らない事で怒られたりもします。
納得が行かなくても、「でも」という語彙はありません。

それでも、ひたすら「頑張って」いればいい間は、楽です。
いつしか後輩が出来ると、仕事に於いてリードし、フォローせねばなりません。
新人の頃の様に、荷物を持ちまくる位では済みません。
その重圧に耐えられない人は、辞めて行きます。
結果、こんな奴の荷物持てねー!…なんて先輩は1人もいません。

始めたからにはトップを目指すぞと息巻いてみたものの、初仕事は半年後。
まぁ、女子は仕事が少ないのでしゃあないのですが、その代わり、いきなり大役って感じです。
私は文系履歴の中に芝居もあるのですが、所詮はアマチュアです、自由です。
役に立つのは舞台度胸ぐらいです。
世の中、楽しい仕事なんてありません。
怒られてなんぼです。
辞めるまでに5百回は舞台を踏んだと思いますが、ひたすら怒られまくりましたねwww

何せ、マイナスからのスタートですから、必死こいてやりましたね~。
毎回、誰か捕まえてダメ出し下さいとか、何々教えて下さいとか、しつこい後輩でした。
原チャリで行ける範囲のビデオ屋は回り尽くし、テレビでもアクション映画は必ず録画し、
コマ送りして手足の軌道や手足の角度、ポーズなどを細かく研究する毎日でした。
立ち回りは基本的に自分で付けるので、パク… ネタを蓄える為でもありました。

盲目的に走り続けて数年、ハタと冷静になってみると、勿論、進歩はあるものの、
トップとの差は歴然としている訳です(トップだから当然なのじゃがw)。
これが自分の限界かも、まぁよくやったじゃん、もう音楽に逃げ帰ってしまおうか…
などと考える様になりましたが、それでも日々の研究は続けておりました。
そこへ…あの運命の出逢いは訪れたのであります!!!!!

ショーゲキの出逢い

そう、たまたま、テレビで放送したのを録画したドラゴン少林拳
孟飛&譚道良のゴールデンコンビ(私にとってはこのコンビ以外に黄金は無いw)!
譚道良の伸び~~~る足技に「これだ~~~~~~~~!!!!!」
体の柔らかい私の切り札は、もうハイキックしか無い。
勿論、下半身を使うワザは、なんぼシンドイか判ってます。
そんなの承知の上ですが、どうせ辞めようと思っているんですから、試さない理由はありません。

日本のアクションの基本は空手なので、
変わったネタを仕入れようという姑息な魂胆から香港映画に手を出していた私です。
この頃は、これが跆拳道なんて韓国の武術であるも知りません。
鼻息も荒くビデオを何度か再生していると、主役のメン・フェイという人に目が止まった私。
こ~んな美しい見得、見たことナイ、何だこの人!
よくよく見ると、動きも美しく、えも言われぬオーラを纏っている…
ショッキングな出逢いでした。
そーだ、美形だからって訳じゃないぞ!

それからであります、更に修行に励んだのは。
ここに近付きたい… いや、辿り着きたい…
トレーニングも勉強し直し、自分の姿を研究し… 自分でもびっくりする位、上達しました。
限界までやっているつもりでも、まだ余裕があったのですね…
とは言っても、元々、足りていない休養&睡眠時間を更に削っての事なので、今やったら死にますw
それを始める前から既に、昼間は吐きそーになって、時折、実際に吐いておりましたから…
でもいーの、辞めるつもりだったんだから。
同時に中国語の勉強も始めましたね。
近所の山に短期で通い詰めて、乗馬も覚えました。
そして1年後、中国は広東省、深圳へと留学に行ったのであります。
たまたま、1年後に機会が訪れただけなんですが。
帰るつもりは無かったけれど、一応「帰って来ます」っちゅーてチームを出て来ました!(ゴメンちゃいw)

私としてはヒヨッコのつもりで、まだまだ学びたかったし、まだまだ赤丸上昇中でした。
しかし、そんな或る日、これからは指導する側に回り、
一線から退いて後輩を育てる必要がある、というお話を頂きまして…
ここでやる事は無くなったのかなぁ… と。
勿論、そのまま、素晴らしいライバルでもある仲間と楽しく続けるのもアリでしょう。
でも、それは私の最終目標ではなかったのですね。
目的地はどこだか判らないけれど、ここでない事が判っている以上は、旅立たねばなりません。
…フットワーク軽いなぁ~!

留学は1年半、香港と陸続きで中央政府からは遠く、かなり自由な深圳という町。
大学の敷地内にある(でも大学とは関係ないし本部は香港)跆拳道の道場に行っておりました。
ゆるゆる道場なので、出来る子と出来ない子、パックリ分かれていて、
私は日本のイメージを背負っている事もあり、元気な少年達に混じり、走っても先頭集団におりました。
体力的にも技術的にも、この前後1年ほどが私のピークですね。
特に前蹴りと跳び蹴り系は、引退後にメキメキ伸びたので、
留学生仲間と宿舎の管理人以外は私の最盛期を見ていないんですわ、わはは。
あれは今でも、自分ではないのではと思います。

スリル満点の異国生活でありましたが、一時のつもりで帰国致しまして、試しに曲を作ってみました。
そもそも音楽を辞めた原因は、創作が出来ないからでした。
他人の真似をして褒められても、仕方がないではないですか。
しかし、これまでの人生を振り返り、出来なかった事は無いではないか、
アクションですら乗り越えられたのだ、辛いのは最初だけ…
…と、ダメもとでやってみたら、何とあっさり、出来てしまったではないですか!(爆)

私、とある外国語大学のドイツ語科っちゅうところを中退しておりまして、
最初にせんせーが仰った事を思い出しました。
「みんな外国語を『喋れない』と言うが、それは、喋る内容が無いからだ、話題を豊富にしなさい」
そうか…!
曲を創れなかったのは、表現する内容が無かったからか!
演奏したいから、聴いて欲しいから、それしか無いから、空っぽだった訳です。
まー、巷にはそんな「作品」が溢れていたりしますがね…

海外生活での、ちょっと書けない様な事も含む色~~~~~~~~んな体験で、
私自身の中身が充填され、言葉としての音楽がようやく機能する準備が整ったのです。
そこから又、カクーーーンと音楽へ方向転換しました。
かつて、半端にアクションを辞めたのと違い、
自分の目標を達成した上で、自信を持って戻る事が出来たのであります、パチパチパチパチ…
それもこれも、全て孟飛さまとの出逢いのお陰。

「これって使えるの?」
な~んて思っていた全てが現在になだれ込んで来る瞬間。
Show me ペンキ塗り! Show me ワックスがけ! です!
そうだったのか!!!!!(爆)

ま~そんなこんなで、帰国後、暫くは趣味で音楽をやっていたのであります。
その頃、NETは黎明期。
PCを手に入れ自分のサイトを立ち上げ、音楽配信を始めたのです。
んで又、NETには世界の情報があると気付きます。

孟飛城誕生!

今に比べれば少なく、不便でしたが、かつて本屋で立ち読みしまくったのに比べれば天国です。
中文サイトなんて殆ど無いし、有っても文字コードが違います。
意欲が無ければ何も手に入らない時代です。
世界中、主に欧米の海賊ビデオ屋のリストから孟飛さま情報を集め、ガセ情報を確認し…
「もしかしたら、どこかにこれを必要としている人がいるかも…」
との思いから、それらをまとめ、公開したボートクレビューこそが孟飛城の始まり。
当時はほんの20-30作品だったと思います。
1年ほど経った頃でしょうか、孟飛城の為にTHE FOGGY FOREST を作曲致します。
これは、ドラゴン少林拳こと旋風方世玉の元漁師の章力武との対決で、扇が出て来る場面、
恐らく孟飛さまが初めてスクリーン上で扇をお使いになったと思われる場面からイメージして作ったものです。

その内、タレコミ寺という掲示板を開設し、人が集まると、
コアな香港映画ファンからのレアな情報が次々と舞い込みます。
住職、孟飛城主の事は運命の出逢いよりもず~っと昔、
少林寺マスターで見てはおりましたが、それは第二次ブームです。
城主の日本デビューは第一次ブームの復讐のドラゴンであって、
それをリアルタイムで体験された方々もいらっしゃる訳です。

タレコミを足掛かりにに膨張する孟飛城でありましたが、
私自身が江戸に行き来したり、個人的な事情が有ったりと、
次第に孟飛城の管理からは離れてしまったのであります。
昔のHPって、今の様ににブログなどではなく、手打ちで結構大変だったのです。
…つって、住職未だにテキストで html 書いちょりますがwww
意図的に孟飛さまを封印したのは覚えております、だっても~~~見ての通り、こうなっちゃいますから!

私自身は城主のアクションの巧さはよ~く判るし説明も出来ますし、何が一般受けするかも知っております。
やはり体操技(縦に回る)や跳び回し蹴り(水平に回る)系などはお客さんを喜ばせるには必須、
何々大会優勝、なんて経歴も、まー何とでも書けますが、人は権威に弱いものですwww
城主、蹴り自体はそんなに綺麗ではないけれど、
体全体は、どのコマを見ても美しく、キメも長く、動作、特に引きがもの凄~く大きいのです。
ここは「武術」とは違うところです。
何をやっているか、何をやりそうか、見えてはならない実戦とは正反対ですね。
攻撃した後、姿勢をキープなんかしてたら反撃食らいますからね。
何か判らないけどエライ格好いい、という場合は、アクションの技術なのです。
(この辺りは、旧孟飛城「デジャヴ~記念堂」に於いて簡単に解説しております。)

そんなこんなで城主の「アクション」に対する評価が地味な場合も多く、
日本での劇場公開はデビュー間もなく、顔も幼くアクションもまだまだな「復讐のドラゴン」のみという、
何とも「なんでやねん」な扱い、孟飛城の陰謀はこれを覆す、というものでもありました。

そして今や、何ということでしょう…!
当時は殆どレアであった作品が、画質イマイチとは言え、DVDで復活しているなんて。
VHS時代は日本でのビデオ化は3本、字幕が付いていたのは1本だけ、
「少林寺マスター」すらカットしまくりでワケワカメ、という状態でありましたが、
何と少林五祖の日本版DVDが出ていたなんて…
DVD、Bluray は現在進行形なので、まだまだ孟飛城の陰謀は続くのであります……!

1998年と言えばNET黎明期、 孟飛城には初期の更新記録が無く、
1998年末には既に存在していたという事実しか判りませんが、
人類最古にして最強の孟飛データベースである事だけは間違いありません、えっへん。
他にも幾つかの明星のファンサイトがありました。
あの時期、テレホーダイと呼ばれる夜11時から朝の8時まで限定の定額制を利用し、
VHSから静止画を取り込んでサイトを作る苦労と費用は、
動画やDVDの今の時代からはちょっと想像が付かないでしょうね。
勿論、液晶モニタではなくCRT、モニタ自体で暗~~~く設定する事も可能で、
私は目の疲労を抑える為、もの凄~く暗い設定にしたのを忘れ、一気に孟飛城を仕上げてしまったのです。
他のサイトの画像を見ると、見えない位に暗い、何で…???
…と、ようやく気付いた時には時遅し!
ボーダイな量の画像が白っぽ~~~いまんま、力尽きた住職、
訳ありて孟飛城を十年以上も放置してしまうのであります。

孟飛城復活&御本人黙認サイトへ!

さて、放置している間、住職は何やかんやと音楽の仕事やインチキナレーションなどもやっており、
知る人ぞ知る、変なヤツになって行きます。
一応は8カ国(だったと思う)デビューなんてのも果たしており、そのお陰で、
孟飛さまウォッチン目的で開設した中国のSNSに於いてもミュージシャンとしての認証を取れました。

城主に焦がれて勉強し始めた中国語、勿論、その時期、お住まいどころか御存命か否かすら存じません。
それがいきなり、直接、ヨイショ出来る機会が訪れたばかりか、
顔も覚えて頂き、曲も聴いて頂き、アーティストとして認識して頂いている…
しかも、芸名の後に付けた公主の名で呼んで下さるなんて!
「姫」ですよ「姫」! クッラ~~~(下心あっての事だけど、まさか本当にそう呼んで下さるとはwww)
こ~~~んな夢の様なハナシ、今でも現実だと思えていない住職であります。

地味ながら計画的なヨイショ計画が実を結び、2012年3月24日 3:00 a.m. 何と、
御本人さまより、映像キャプチャ画像及び御本人さまによる公開写真を使用することを許可頂きました!
その時の模様は タレコミ寺 にてお伝えしております。

アナログ回線時代であった設立当時、画像は質やサイズを落として制作しておりましたが、
2012年7月現在、高画質化、加筆などを含めた大幅な改装&ゲリラ更新の真っ最中です。
又、出演作の殆どがレアという時期であり、今とは作品紹介の意図が違っておりました。
英語や原語版で見る事が可能な作品も多い現在、レビュー内容も少し、詳しくしております。
中文版のVHSがあっても、現在は再生機が無く、
役名や作品内の地名をちゃんと書いておかなかった事への後悔などもございます。
又、10年後に後悔しないように… と、少々、クドめに書いてある事もあり、基本的にネタバレです。

住職、今後とも、敬虔なファンとして、節度あるヨイショに努めて参りたいと存じます。
皆様もお気軽にご参加下さいませ♪


孟飛城管理人K. JUNO
10年前に書いた未来の自画像
(…似てね?)


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