孟飛/メン・フェイ/マン・フェイ/メンフェイ/リー・フォアマンin俠女幽魂

メンフェイ  プロフィール1 出身地誕生~生い立ち

とある年の5月25日、中国のある所に生まれた美少年
…などと、しょっぱなからアバウトで申し訳ないが、情報が複数、存在するのじゃ。
中華圏の年の数え方は人によってまちまちで、最大で3年の差があり、
住職も60を越えておられる位しか判らんのじゃ、と~てもとてもそんな風には見えんがのぉ~~~~~
1番上が姉君、城主は2番目ではないかと思う。
妹君が少なくとも2人、弟君もおられ、6人兄弟かと見ておる住職である。
…知らんけどっ♪(大阪のお作法)

その内、城主御自身からの流出画像のコーナーを作る所存ではあるが、
幼少期の整ったお顔立ちと広いでこには、既に方世玉の気品が漂っておるのだ!
(住職の初ヨイショ&頂いたレスはこの写真に対してであった。)
それもその筈、御両親揃ってお医者様、風呂上がりなども常に保湿を怠らず、
食後には「瞳も綺麗に、皮膚もツヤツヤで健康な大人になるわよ~」と、
当時としては高価であった肝油を食べさせられて育たれたそうな…
ありがとうございます、お母様、正に仰る通りになられました~~~!

さて、出身地に関しては諸説あるが、住職、直接お伺いした事は無い。
2014年のドキュメンタリーではナレーションが「広州出身」と言っていた。
当時の香港スターや実業家のパターンで共産党から逃げて来られたのである。
昨今の「10時間泳いだ」というのは誤りで、10時間掛かる距離を友達と3人で泳いで脱出を謀るも、
1時間程で1人が動けなくなり立ち往生していた所、香港籍の船に助けられたのである。
後にお礼に行ったが、そんな船は元々いなかったという、不思議なお話であった。

デビュー時の新聞によると、上海出身、4~6歳で(住職、記憶があいまい)香港に移住とあるが、
住職が以前、立ち読みした本では、ランランショウが大陸から連れて来た、とあった。
いずれも違うのである。
美少年故のスカウトかと思っていたが、世の中、そんなに甘くはないのである。
倉田保昭氏の自伝内の「中国から出て来たばかりだったから苦労しただろう」というのは、
この事だったのだ。(タレコミ感謝!)

香港に無事に辿り着いた城主は、工場でアルバイトをしていた所、新聞でオーディションを知り、
ずっと武術を習っていた事もあり、応募し見事、主役合格、という訳なのだ。
当時の新聞には「小さい頃、体が弱かったので武道館を運営する叔父の元で武術をずっと習っていた」とある。
ただ、「広東十虎の1人の末裔」は話が出来過ぎであるし、
城主が御自身で語られた事は一度も無い。

91年の大陸の中央電視台と台湾との合作TVドラマ「雪山飛狐」(中国国内で初めて放映された台湾ドラマ)は、
大陸に暮らす母君に御覧に入れる為に出演なさった、という話があるが、
大陸とは長らく国交(?)が無かったのは事実で、当時の低予算映画は韓国、と相場が決まっていた。
2011年末にキャンペーンで大陸に行かれた折に「成都で御家族や親戚とお会いになった」とお書きになっていたので、
ナレーションが言っていただけの「広州出身」の信憑性に付いては多少の疑問が残る。
(台湾ドラマ第一弾の「神鵰俠侶」の特集雑誌では近年のwebと同じく、籍は山東にあり上海で育ち、15歳で単身、香港へ、とある。)

御両親はお医者様で御自身も教養があり、普通に学校に通っていらっしゃった様なので、
色々なお話からしても、貧しい子供時代などとは縁が無さそうである。
幼少期に苦労した人特有のアーティスティックな鋭さや人間不信などは感じられず、
真っ直ぐに育った、お茶目で大らかで人の和を愛する誠実なお方の様に思われる。
正義感も強く、正に方世玉
子供の頃から犬が大好きで、ずっと犬と暮らしておられるそうな。

メンフェイ  プロフィール2銀幕デビュー

さて、香港のオーディションで主役に選ばれての芸能界入りは、
御存知、1972年3月10日香港公開の「小拳王」、当時19歳。
(雑誌によると、オーディション当時は18歳になる前となっている。)
新しく出来た南海影業有限公司のニュースターとして、3年の専属契約を交わすのであった!
ショウブラザーズの下請けという認識らしいが、張英や張徹らがショウブラから独立する為に立ち上げたのだ。
張徹はショウブラとの契約で参加出来ず、ノークレジットで指導していた。
そう思って見れば、あの殺されっぷりは張徹の案で、
それがその2年後の「少林五祖」で再現されたと考えて良いのではないだろうか。

ボートクレビューの「小拳王」の項も参照して頂けると良いかと思うが、
当時の新聞では前年よりちょくちょく取り上げられており、
期待のスターとして気合いを入れて売り出した様子が覗える。
公開後、すぐに人気が出て、出歩けば女の子にもみくちゃの孟飛さま。
悪役の倉田氏、ヒロインの李琳琳という布陣をそのままに「方世玉」の撮影に。

馬にお乗りになったのは「方世玉」が初めてで、落っこちた、という話である。
この件は住職、直にお伺いしておるので、城内ボートクレビュ~でじっくりご覧あれ♪
この作品は日本での唯一の劇場公開作、邦題「復讐のドラゴン」なのである!
時に日本は第一次功夫映画ブーム、正にブルース・リー時代!
(以前はLeeではなくLeighであった様な記憶がある住職)
住職含め、TVで流行った第二次ブームしか知らないファンには、孟飛さま作品と言えば多分、
「少林寺マスター(方世玉大破梅花樁)」の方が馴染みが深いと思う。
ややこしい事に、第一次ブーム即ち「復讐のドラゴン」世代には、当時紹介されたリー・フォアマンという名で浸透しており、
TV放映時代には、中国語の読み仮名(拼音)のアルファベット部分をそのまま使用し、
最も知られている英名Meng Feiをローマ字読みしてメン・フェイと表記されておったのじゃ!
(※「少林五祖」キングレコード版DVDの間違いだらけのプロフィールではマン・フェイとなっている。)

NETなど存在すらしない90年代初頭、住職は立ち読みしまくった挙げ句、
メン・フェイリー・フォアマン孟飛である事を突き止めたのであるが、
立ち読み経験の無いファンはメン・フェイというカナ表記しかご存じないかも知れぬ。
当時の中華系スターの名は「リー」でないと、外人にはピンと来ないとの判断であろう~~~あぁ、安直。
字も音も素晴らしいのに、何と勿体ない!
デビュー当時の英名は Jimmy なのであるが。
香港なので、仲間内では男の子に付ける愛称「仔」を付けて「飛仔(フェイチャイ)」と呼ばれていた。
あ、この「飛仔」、一般名詞として使うと「チンピラ」の意味になるぞぇ。
尚、孟飛城は勝手に「城主」とお呼びしておるがの~~~、ポクポクポクポク…
(別名に関しては、デジャヴ~記念堂の最後を御覧下され。)

ボートクレビュ~では孟飛さま出演映画50余作、テレビ連ドラ10作ばかりをリストアップしており、
その殆どが主役又は準主役、たまにゲストなのであるが、御本人によれば
「映画だけで百本以上」という事であるから、気が遠くなる。
他のスターもそうなのじゃが、1日に何本も掛け持ち撮影、という事は珍しくなく、
売れっ子時代はギャラも1流、睡眠時間2時間、
掌にグサッ、顔にグサッ、林の中にドサーッ… などという怪我も経験しておられ、
右腕の肘の上には数センチの傷痕が残っている。

日本に於けるビデオ化作品は「復讐のドラゴン」を含まない3作、テレビ放映作品は把握しておらぬが、
やはり日本でメン・フェイと言えば、伝説の英雄「方世玉」シリーズであろう。
(シリーズと言っても、作る時に勝手に繋がった事にしているだけであるが。)
4作全て日本でTV放映されており、内、2作でトレードマークの白扇を使っておられる。
他にも方世玉を扱った映画はあるが、白扇を使い、杭の上で闘ったのは、
メン・フェイ方世玉と故フー・シェン方世玉だけの模様。
ちなみに、カラー作品での第一号方世玉孟飛さまなのだ。

この方世玉という役柄、標準語と広東語の差が小さくて音もキャッチーだった黄飛鴻と違い、
標準語と広東語の差のみならず、地方の訛りによっても全く違う音になってしまうばかりか、
英語や日本語に存在しない発音を含む為、翻訳名が統一されず、
アイコン化しにくかったのも、ちょっとした運命の悪戯かも知れない。
「方」は「フォン」か「ファン」、「世玉」は「サイヨー」「シーユー」「スーイー」など、作品毎にバラバラで、
外国語圏での方世玉というキャラクターへの馴染みの薄さが覗える。
姓と名の組み合わせもまちまちで、実に多くのパターンが存在するのである。
住職も少林寺マスターは何度放映されても名前が聴き取れなんだ… 吹替なのに。

折角なので方世玉Fang Shi Yü を発音してみようといういきなりの提案なのじゃが、
最初は高く平らに英語の f から普通にファン、後の2つは長音で下降気味に読んで下され。
Yü はドイツ語をやっている人なら見慣れた記号かと思うが、発音も同じで、
口を尖らせた状態で舌の先を限りなく唇に近付けると、イとウの混ざった音が出るじゃろう。
おぉぉおおお~~~何と素晴らしい響き♪

メンフェイ プロフィール3足取り

デビュー作はフィリピンでブレイクし、香港以外でも一気に人気者になった城主。
南海影業は李琳琳とのキュート系美男美女カップルでの連続ヒットを確信し、
「小老虎」に続く4作目の撮影準備を整えていたのであるが、
孟飛さま、契約の効力の及ばないフィリピンにて撮影を始めてしまわれたのじゃ。
(「神探小旋風」などは香港への復帰後に正式に撮影されたもので、アクションに戻る迄に2作の文芸作品に出演されたらしい。)

さて、一応、書いておくのであるが、SFXに興味津々だったと見られる余漢祥監督が、
日本から特撮指導に高野宏一氏を迎え撮った76年3月公開の海魔
孟飛様が初めて台湾で撮影された作品という話!
これはたまたま出た話で、住職も城主もビックリ!
台湾のTVのインタビューでは、この前年の作品少林五祖で「撮影で初めて行った」と語っておられるがなw
外人からすれば不思議な魅力に溢れた香港も、中国の人からすれば所詮は植民地、
台湾の方が撮影の環境も整っている上にのんびりしていて、
この頃から既に台湾に住みたいとの思いはお持ちであったのかも。

さて、デビューからスターとして順調に歩んで来られた孟飛城主、
80年代に入り、何の因果か、前述のSFXの余漢祥監督が再登場、
1983年の新 火燒紅蓮寺(邦題 妖術大変化)という映画に、
ショウブラスターの妖怪的美女潘迎紫と共に孟飛さまを起用するのである。
偶然なのかテストであったのか、この美男美女ゴールデンコンビはそのまま翌年、
伝説の台湾ドラマ神鵰俠侶へとなだれ込むのである…!

当時は映画スターからテレビ俳優と言えばグレードダウンなのだが、
1980年の城主主演作俠影留香の監督であり、
TVの世界に転向した李朝永と夫人、周遊のプロデューサーコンビに声を掛けられ、承諾したそうである。
城主は、韓国で映画を2本、同時撮影中であったという。

さて、ドラマ「神鵰俠侶」は空前の大ヒットとなり、結婚ブームという社会現象を生む。
台湾では、この時の役名で「永遠の楊過(ヤンクウォ)」と呼ばれる事も多い城主である(2音節で読んで下され)。
このコンビによる、純朴な美少年と年上の美女のロミオとジュリエットの時代劇バージョンは、
その後の作品にも引き継がれ、常に視聴率50%を上回っていた、と、制作者、周遊が語っている。
一途な楊過という役を大層、気に入っておられる御様子の城主であるが、
やっぱり硬派な方世玉のお下げ頭が好きな住職である…

さて、91年には大陸で同じプロデューサーによるドラマ「雪山飛狐」が大ヒット!
大陸では孟飛さまと言えばこの作品の「胡一刀」「胡斐」(親子1役)で、
「胡大侠」「胡大哥」とも呼ばれている。

以来、本拠地は台湾、現在も台北にお住まいであるが、
日本では想像も付かない程の特別扱いのスーパースターで、映画やTV関連のイベントでは最後に登場なさるのは当り前。
にも関わらず、威張らずフレンドリーで、共演者やスタッフ、ファン、全てに評判が良い。
誰に対しても親切で気遣いがあり、昔の新聞にあったが「記憶力がいい」というのも本当である。
ルックスだけでも完璧なのに、モテない訳が無いではないか、ククク。

メンフェイ  プロフィール4その他

血液型はAB型。
中国標準語(港台ファンは「国語」と言うが地域によって呼び方は違う)、広東語をお話しになる他、
台湾の地元の言葉である閩南語の歌をお歌いになったりもするが、お話しにはならない。
閩南語ドラマにも出演なさっているが、吹替である。
香港・台湾で使われる繁体字も、現在の中国大陸で使われる簡体字も、両方、お判りになる。
大陸の発音記号(拼音)は御存知ではないが、台湾で遣われる「注音」をお読みになるかどうかは不明。
台湾人からの城主へのメッセージでは遣われているが、城主がこれでお書きになったのは見た事が無い。

御自身で「何をするにも遅い」と仰っており、先に述べた通り、確かにおっとりはしていらっしゃって、
多分にマイペースで天然、天真爛漫というのが住職の感想である。
頭が良くて茶目っ気があり、社交的で努力家、サービス精神旺盛で、
物事を断るのが非常に苦手な方だとお見受けしておる。
寡黙ではない…www(ファンは助かる。)
饒舌な孟飛さまにはイメージは壊れるかも知れないが、
慣れればそのお人柄の魅力の虜になるであろう~~~
そうそう、「褒め芸の達人」でいらっしゃるので、渾身のヨイショも、一瞬にして返されてしまうぞよ~♪
判っておってもニヤけてしまうがのぉ。

新聞始め、あちこちに載っている御本名は楊安東
御子息の姓は確かになので、そこは本当であると思われる。
オフィシャルで出たプロフィールでは「イタリアの血が入っている」という事になっており、
安東の音は「アントン」、英語で言えばアンソニー、正に欧米人の名に使う字である。
そう思って城主のお顔立ちを拝見すると、
「東洋の美形」だけでは説明し尽くせない、深い「黒の美しさ」を感じたりもするのであるが…
平べったさとは違う美しいなだらかさと、要所要所には、過不足の無い、クドくないクッキリ感があるではないか。
特に横顔などは、同じ東洋人とは思えない程に綺麗な線を描いている。
しかしながら、この事が御本人の口から出た事は無いので、信頼出来るかと言えば自信は無い。
この辺りはプライベートな部分だと思うので、確認する予定は無い住職である。

さて、城主への呼び掛けであるが、大陸のファンの「胡大俠」「胡大哥」以外では「孟飛大俠」「一代大俠」、
台湾では「神鵰俠侶」の役名から「楊大俠」と敬意を持って呼ばれる事もあるが、
ヨイショ気味なら「孟飛大哥」「孟大哥」、通常は「飛哥」で宜しいかと思う。
「大哥」は兄貴、普通はフルネームか姓に付ける(「哥」はもっとファジー)。
但し、最近は息子さんの孟翔くんを推していらっしゃるので、「一代大俠」は失礼かも知れない。
後継者が出ない程に素晴らしいという意味では、そうお呼びしたいのは山々なのじゃが。

2013年現在、メインは御自身の事業であるが、
俳優業も継続中で、「合った役があれば出る」と仰っている。
台湾や大陸のバラエティやドラマにちょくちょく出ておられ、2012下旬には3ヶ月間、舞台に出演なさっていた。
慈善活動にも関心が高く、2012年4月5日に発足した「中華明星公益體育協會」の明星会長を務め、
同会主催のチャリティイベントにも参加しておられる(歌手の周嘉麗が連絡係など担当している)。
住職の把握している限りでは、過去に映画以外にデュエットで2回、歌を出していらっしゃるが、
御本人も仰る通り××過ぎる為、人前で歌う事は断り続けておられたと言う。
しかしそこは我らが城主、練習して歌える様になられたので、今はバンバンお歌いになる(かなりの進歩w)。

さて、俳優の仕事は「夢を売る」ことであり、
住職、特に夢を売らないと思われる情報を公開する必要は無いと考えておる故、
ゴシップだの家庭だのという情報は、ファンは必要としていないと思うのである。
お務めとして、情報自体はかなり入手しておるのじゃが、新聞記事を除いては城への掲載は考えておらんのじゃ。
気になるというお方は、タレコミ寺でリクエストして下され~~~ポクポクポクポク……

尚、このページは随時、ゲリラ更新するものと思われるぞよ。
以下、城主御本人のSNSアカウントである。



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