
タイシャンは趙に教えを請い、砂に手を突っ込みまくるという、当時流行っていたらしい修行で鐵沙掌を会得する。 一方、趙の評判を聞き、館長不在の忠義武館に殴り込んだ日本人武術家、渡邊武夫(倉田保昭)は、美しい姉(李琳琳)に一目惚れし、国に連れて帰ろうともくろみ始めた。 しかし、再び忠義武館を訪れた渡邊を迎え討ったのは、帰国した趙であった。 必殺ワザ、鐵沙掌を腹に食らいそうになった渡邊であるが、姉の情けで一命を取り留め、後日、仲直りの印にと宴を設け、趙を呼び出す。 周囲が止めるのも聞かずに1人で出掛けた趙は、腹を斬り付けられた上、数十人に襲われ惨殺されてしまう。 死体を道場に届けに来た渡邊の使者は、趙が酔って暴れ始めたのだと言い訳をする。 とても信じられる話ではないが、館長亡き今、渡邊達に立ち向かう術は無い…
一足遅れて、趙がタイで買った象牙を届けにやって来たタイシャン達。 彼らが再会したのは、友、趙の遺影であった。 尻込みしていた一同はタイシャンに説き伏せられ、霊前に姿を現した渡邊達に一斉に攻撃を仕掛ける。 ヌンチャクを操る渡邊に追い詰められたタイシャンだが、師匠の遺影を前に渾身の力で振り返り、渡邊のハラワタをえぐり出した…! 逃げようとした渡邊の使者は、趙の姉が刺し殺した。 かくして復讐は果たされた… が、見渡せば双方、傷付いた数人を残し、尽く息絶えていた。
そして姉は2人と共にタイへと旅立ち、新しい人生を歩む決心をするのであった……

諸事情を知った今、香港映画界、そして孟飛という不世出のスターを語る上で、この作品が如何に重要であったかに、ロケ地の検証の為に映像を見直していて気付いたので、今更ではあるが、住職なりに理解した事を書き留めておこうと思う。 御存知の事も、そうでない事もあるかと思うので、何かあればどうかご遠慮なく、おタレコミ頂きたい。
本作が「香港映画史上に於いてヌンチャクが初めて使用された作品」である、というのは、まぁ倉田氏のファンがあちこちで書いているだろうからサラッとなでるに留めるとして、制作側が用意した最大の見せ場は、やはり孟飛城主の殺されっぷりであろう。 いや、もうそれだけ、と言い切ってしまってもいい位だ。
少年のあどけなさを残した容姿端麗、でも脱ぐと結構スゴイのよ… な19歳の新星が、爽やかな笑顔で登場し女性陣の心をワシヅカミにしておいて、敵陣に単独で乗り込むという男っぷりに更に萌えさせたかと思えば、無惨に血に染められて行くというS心にも大サービス、これはもう、ある人物の策略以外の何物でもない。 ある人物とは… 言わずと知れた大監督、張徹である。
倉田保昭扮するドスケベ日本人の渡邊は、孟飛城主を油断させる為、酒を飲ませた上、金で雇った三味線弾きに不意打ちで襲わせる。 美形武術家が腹を刺された所から始まるこの乱闘は、最初から出血大サービスなのだ。 すぐに上着を脱いで腰に巻いた様は、殿のお戯れにくるくると舞う無垢なお女中にも似て、その帯はみるみる血で染められて行く。 この発想のエロさには、常人はちょっと付いて行けない。
階段は転げ落ちるわ、並んだ椅子に順に座りながら敵どもを蹴散らして行くわ、この不利な状況に於いて、何十人もの男達が刃物を持って向かって来るというのに、苦しみながらも美しく応戦し、一向に負ける気配が無い。 そんな様子に業を煮やした渡邊が、2階から飛び降り様にヌンチャクを押し付け、トドメを刺すのだ。
お気付きだろうか、この残虐なシーンに於いて、最初から最後まで孟飛城主、誰にも「やられていない」。 唯一、闘いの素人を装った音楽家に気を許し、刺されたのだが、これは城主の武術家としての大きさと敵の卑劣さの対比を際立たせたに過ぎない。 渡邊の武器としてのヌンチャクすら食らっていない。 むしろ、負けなかったからこうなったのだ。 ただただ、真正面から全てに向かう姿勢を貫いただけである… 何と見事な脚本であろう。 住職、個人的には流血は嫌いであるが。
孟飛初期作品には、既に腰のバネと鋭い見得が見られる。 御自身は、アクションの見せ方の基礎は劉家良から学んだと仰っているが、氏の指導と思われる華やかさとは又、違った、死をも見据えた様な厳しい表情は、張徹が与えたものではないだろうか。 それらが見事に融合し、後の艶やかさと緊張感というメリハリの効いたアクションが生まれたのでは、と推測する住職である。

香港映画界に革命を起こすべく、第一作より新人を発掘し、日本からやって来た二枚目悪役、倉田氏、そして太っ腹にもタイからは男女スターの起用と、最初から世界を見据えていた。 それ故の、「半端」にも思える途中での主役バトンタッチなのである。 死んだとは言っても、孟飛城主は回想の中で、また少しお父さんっぽい写りの遺影として、最後までちゃんとスクリーンに映り続けているのだ。 ビデオ時代なればこそ、同じ映像ではないかというツッコミもあろうが、劇場のみの当時としては、それで充分だったのだ。 72年3月公開の本作だが、前年の10月の新人起用決定より新聞でプロモーション開始、「歡樂今宵」に出演したとの記録もあったと思う。
好評を得たリンリンとのコンビはこの後も続くが、3作目を撮り終えた後、3年契約を結んだ筈の主役の孟飛城主が捕まらないという不測の事態に見舞われ、張英らは頭を抱える事となる。 結局、主役クラスのスターはショウブラから借りなければならず、「脱・ショウブラ」の夢が潰えたと言うが、孟飛城主が姿を消さなかったら、香港映画界はどうなっていたのであろうか??? ブルース・リーやマイケル・ホイといった金の卵をみすみす見逃すという大失態により、ゴールデン・ハーベストの台頭を許してしまったショウブラであったが、その大事な時期だけに、過ぎた話ではあるが、妄想の尽きない「もしも」である。
本作は特にフィリピンで大ヒットし、孟飛さまと倉田氏が一躍、アイドルとなった事は知られている通りである。
補足情報 英題は羅烈の主演作と紛らわしい。髪型が似ているので写真も判りにくいかも。更に、孟飛自身の「Shaolin King Boxer」とも全く違うのでご注意を。
出品/南海有限公司 香港公開 1972年3月10-17日 台湾公開 1972年4月29日 (イタリア版 90分)