戚繼光の冒頭のみに登場する
左營孔廟。
画質とサイズがこれなので中々難しいが、忠烈祠や孔子廟に似ているので、台湾全土にあるそれらのリストからシラミ潰しに探して行く。
階段や回廊の位置関係などに注目しながら比較して行くと、細部の模様など確認不能な部分を覗き全て一致したのが高雄の孔子廟のみ。
しかしながら、1枚目の右奥に見える不思議な質感の山の様なものが写った写真が無いのだ。
ストリートビューで見えそうな所をしつこくチェックしてみるも、見付からず。
建物が消える事はあっても、山が消えるなどという事があるものか…???
これでは特定が出来ない。
しかし住職の執念は、
花山院法皇にも迫る歴史ミステリーな発見をしてしまうのであった。
1年ほど放置した後にまとめの作業に取り掛かろうとすると、資料をブックマークをしたのかしていないのかも記憶に無く、検索しても出て来ない。
聞いた事のある山の名だった事を思い出し、何とか同じ資料を掘り当ててメデタシ!
左營孔廟
高雄孔廟、
左營孔廟、同じものを指すのだが、固有名詞ではなく、区別の為に付けているだけかと思う。
「ジャスコに買い物に行って来るわ」に「何店」という概念は無い、一番近くのジャスコに行くに決まっているのだから。
若人に「ジャスコ」で伝わるのかどうかはさて置き、生活に密着した施設とはそんなものだろう。
1976年に完成したとの事なので、撮影当時はまだ新しかったのだ(ジャスコではない)。
そして、その向こうには確かにあの山、
半屏山が存在したのだ。
独特の姿は、
蓮池潭近くの建物の遠景として親しまれていたそうな。
1960-70年代、コンクリートの原料として石灰質なその土が採掘され、山は急激に形を変えて行った。
元々、地盤が弱かった事もあり、工事の影響と相まって60年代に大規模な地崩れを2度、起こした。
戚繼光は1979年なので、過去のフィルムを流用しているのでないとすれば、地崩れ後はまだ映像の様な外観を保っていた事になる。
その後、採鉱は97年まで続けられたそうなので、著しい外観の変化はその間に起こったと思われる。
(解説ページから前後の比較図へのリンクを貼っておくが、全文は本頁下のリンク先を御覧あれ。)
採鉱による外観の変化閱「半屏山」@JiaHuanghandsome的部落格より図のみ
デジカメや携帯などが登場する前の事なので、ネットで以前の姿を見る機会は多くは無い。
エキストラしか登場しない短い2場面ではあるが、かつての
半屏山がカラー、しかも商業作品として収められたこの映像は、歴史的にも貴重なものではないかと思われる。
孔子廟について全く解説していないが、許してたもれ。
実に惜しい住職、
左營は
佛光山の最終日に当てもなく歩いておったのだ。
当時はロケ地刑事ではなかったし、
蓮池潭近辺の観光地には興味が無かったのだが、この様な古臭そうな施設があると知っていたら行っていたに違いない。
因みに「半屏山」は金瓜石のロケ地、
茶壺山の近くにも登山客にポピュラーな同名の山があるぞよ(香港にもあるし、恐らく他にも沢山ある)。
…とここまで書いてデジャヴに襲われる住職。
直に見ている上、写真も撮っているではないか
半屏山!!!!!
残りの写真と実際の位置は地図を見てたもれ♪(カメラマークをクリック)
西に向かってニンニキ歩いていたら着いていたではないか、
孔廟!(爆)
ま、メインは山だからいっか?
行き方
孔廟は観光ポイントが密集した
蓮池潭の北東の端にあり、
左營から数百メートル(地図参照)。
駅を出ればバス停があり、
蓮池潭行きのバスはすぐ前に停まる。
…が、孔廟は端っこなので、ここしか行かないなら歩いてもいいかも。
何も無いのでカンカン照りだったら干上がるし、犬だらけだが(犬嫌いだと台湾歩けねぇがな)。
すぐ横で、タクシーだと思うがおっちゃんが客引きをしているけれど、バスは頻繁に来る。
乗り方や料金は観光サイトで調べてたもれ。
降りるバス停は
孔廟である。
参考資料
タレコミ寺